アダム・ゴールドスタイン 「見知らぬ人の親切」



去年僕はKCJSという京都にある留学プログラムに参加して一年間日本語や日本の文化を勉強しました。秋学期の初め、蒸し暑い9月のある日のことでした。 その日は初めての授業の日で、京都大学に行こうとしたんですが、道に迷って全然分からなくなってしまいました。嵐山のホストファミリーの家から京大までは 45分かかるはずだったんですが、駅に行くと10分しかかからないバスがあると聞いて、「すごい早道だなぁ!」と思ってそのバスに乗りました。

西も東も分からない僕は10分の間窓から外を見ながら「早く行けるぞ!」と嬉しく、終点が来るのを待っていました。運転手が「京都大学で〜す。」と言うの で、僕は降りましたが、そこは全然京大みたくなかったんです。いったい僕はどこにいるんだろうのと、KCJSでもらった地図を出してみましたが、何も分か りません。早く家を出たのに、これじゃ絶対に遅れてしまう。本当に自分に怒ってしまいました。まわりには駐車場以外に何もなかったので、店か何かを探して 歩きました。

見つけた店は「ボウベルベル」というケーキショップでした。店員が行き方を教えてくれましたが、店の奥から店長まで出てきて、「車で北東キャンパスまで連れて行ってあげる」と言うではありませんか。

びっくりしてしまいました。店長は見知らぬ僕をBMWに乗せてくれました。乗っている30分の間はすごく楽しく、二人で色々話しました。京都大学のことと か、僕が日本語をペラペラ話せるようになりたい、BMWとかアメリカのことなどでした。店長もいつかニューヨークへ行って、ケーキショップを開きたいとい う夢についても話してくれました。

学 校に着くと友達や先生方にこの話をして、KCJSにいる間色々な人に繰り返しました。僕はすっかり感激してしまったんです。教室で日本語で会話をしたこと はあっても、この経験で初めて日本語を使って何か繋がりを作ることが出来たんです。誰でも困った時に助けてもらえば感謝しますけれども、僕はこの時連れて 行ってもらったこと以上にもっと大切なものもらったと思います。それは自信です。どうしても聞かなければならかったこと、また自分の夢、両親の住むメリー ランドのことなど一所懸命言い表そうとしたり、また相手の話を聞いたり、本当の意味で日本語を使った初めての経験になりました。

この経験があったからこそ今の僕は機会があれば恥ずかしさを忘れて一所懸命日本語で話をしようとします。 言 語はコミューニケーションの道具であるばかりでなく、相手の母語で話すことは本当に特別なことなのだと思います。言葉は文化や人々の性格とからみ合って、 相手の言語を話せば本当にその人のことに関心を持っているということを示せると思います。そういう努力が感じられれば、話すことが完璧じゃなくても、心が こもっていて価値があると思います。

僕は今でもあの店長のことを思い出します。あの人のおかげでKCJSでも授業でちゃんと話す自信、またアメリカに戻っても日本語を続ける自信をもらったと 思います。僕はいつかあの店でチーズケーキを買って、「ありがとうございました。」と言いたいです。僕にとって店長が想像する以上に意味ある贈り物でし た。