ナデイア・ヘマデイ 「平安時代の女性作家と私」



私 は小さい時からいつでも、どこでも、本を読んでいて、将来作家になりたいという夢を持つほど、読書が好きでした。日本の文化にも興味がありましたが、大学 で日本の文学のコースを取るまでは私が知っている日本人が書いた文学作品はむらさき式部の「げんじ物語」だけでした。その「げんじ物語」は日本で一番影響 をあたえるような作品で、今ではアメリカやヨーロッパの大学でも日本文学として教えられているほど世界中で認められているものです。

日 本で一番有名な作品が十世紀に生きた女性が書いたものだったということはちょっとおかしく、不思議なことだと思いました。それに、日本では平安時代以後、 明治、大正時代までは女性作家が書いた有名な作品はあまり知られていませんでした。ほかの理由もあるでしょうが、平安時代以降は仏教や儒教の男尊女卑の影 響が強くなって、女性の地位は低く、大正時代になるまでは有名な女性作家は少ししかいませんでした。 

 平安時代に女性が書いた有名な和歌や[p]日記や[p]物 語の数が多いのは異例のことでした。せいしょうなごんの「枕のそうし」を始め右大将道綱(うだいしょうみちつな)の母の「かげろう日記」、おののこまちや いずみしきぶの短歌はそのいい例です。当時、日本以外の国でも、また日本のほかの時代でも、女性は自由に書くことはできませんでしたから、平安時代にどう して女性はたくさん書くことができたのでしょうか。私は当時の女性の地位や生活はずいぶん高かったのだろうと思っていましたが、本当に高かったのでしょう か。その女性達はどんな生活をしていたのでしょうか。

平安時代の女性は自分の住んでいる家から外へは自由に出かけることはできませんでしたし、家族と夫以外には男性に会うこともできませんでした。交際をしたければ、手紙や和歌を送ることでした。当時の男性は[p]もらった和歌の内容や書風の美しさによって女性が好きになったのです。また、上手に詩や物語が書ける女性は宮廷に仕えることもできました。

けれども、そのころの日本人には漢字は男性が使うものだと考えられていましたので、女性は漢字を使うことができないで、ひらがなでしか物が書けませんでし た。政治的なことや歴史的な書き物は漢字で書かれましたので、ひらがなだけが使えて、分る女性はそのようなことについては書けませんでした。 

 当時、男性は何人もの女と結婚することは自由でしたけれど、女性は家で夫が訪ねて来るのを静かにじっと待っていることしか出来ませんでした。そんな女性達の書いた作品を読むと女性達のとてもさびしそうな生活が見えてきます。 

平安時代の女性は一方ではめざましい作品を書きましたが、もう一方では書くこと以外に、政治的なことなど一つもできなかったんです。 

当時の女性の生活と今の私のとは全然違います。私は男性と同じように色々なことができる自由があります。けれども、勉強以外に、友達との付き合い、えんげ き、アルバイト、色々なことをしていますので、書くことだけに時間を使うことがなかなかできません。時々平安時代の女性のように書くこと以外に何もする必 要がなければいいと思います。でも、彼女達の世界はすごく限られた小さい世界でした。私は現代に生きています。色々なことができるはずです。恵まれていま す。私は将来書くことで自分をできるだけ表現したいと思います。