ナン・パン 「桜花と梅花 私の交差するアイデンティティ」



私は中国の旧満州の瀋陽市で生まれました。冬は連日氷点下二十度以下にもなる極寒の地です。日本ととてもゆかりの深い地で、それゆえに、 私は生まれるよりもずっと前から日本とは強い繋がりがあったのかもしれません。そんな私が日本へ移り住んだのは今から十数年前、ちょうど梅の花も散り、桜が花開く季節でした。

日本で過ごした十年近くの歳月は私の人格形成や思想の構築に多大な影響を及ぼし、時に友人から「君は日本人より日本人らしい」と言われたりもしました。「中国人だから云々」と思われることが嫌だった私は一生懸命周りに合わせるようにしました。 しかし、どんなに周囲に馴染もうとしても私の中に流れる紅の血はそうたやすく桜色に染まることはなく、成長するにつれ次第に自分のアイデンティティーについて深く考えるようになりました。そんな頃、親の仕事でアメリカへ渡ることになりました。

渡米当初はよく「日本と中国、どちらが好きか」と聞かれました。私はずるくもその場によって答えを変えていました。つまり、日本人に聞かれた場合は日本と答え、中国人には中国と答えるのです。これはきっと日本に住む中国人として日中両国の人と接するために身につけた術なのかもしれません。この間にも日中間に様々な問題が絶え間なく発生しましたが、日本人と中国人の友人は決まって私に意見を求めました。「君はどちら側の人間なのか」と。そのようなことが度々あり、段々そういうことが不毛に思えてきた私は結局終止一貫、中立の立場を取りました。「僕が意見を言ったところで何も変わらない」と。そのような態度を取り続けたので、一部の友人とは折り合いが悪くなったことは否めませんが、私には日中どちらかを貶めるようなことを口にするのは自分の存在意義を否定することと同じでした。心にもないことを言って相手を喜ばせるほど器用な私ではありません。今思い返すと、この中立的立場を取ったことは最善の策だったのではと思えます。

アメリカに来てもう八年近く、ここでは私の持つバックグラウンドは覆い隠すものではなく、むしろ一つの強い個性として見られます。大学四年間の中で様々な価値観の人と接するうちに、これまで以上に日本と中国を第三者の視点から見ることが出来るようになり、今まで避けていた両国間の歴史的背景による不和や問題も直視するようになりました。直に接した日本人や中国人の友人は、メディアで報道されているような陰険な関係ではなく、お互い認めるところは認めあっている様に思えます。北京出身の友人は「日本が過去にしたことは一生僕の心に残ると思う、しかし、初めて日本に行った時、中国は本気で日本に学ぶことがたくさん有ると実感した」と言い、また、上海からの女性は「国の政策と私自身の考えは全く別もの。中国人全員が同じ考えを持っていると思われるのは心外でとても残念」とも言いました。いずれ彼らが国に帰り、次世代の中国を引っ張っていく人材となれば日中の将来は明るいと思います。

どんなに厳しい冬でもやがて春は訪れます。桜の花も梅の花も春の始まりを愛でる美しい花であるように、日本も中国も共に心から分かち合い、やがて近い将来両国の関係も雪が解け、花が咲き乱れる春爛漫を迎えられるようになればと切に願います。