ベン・スナイダー 「合気道に学んだこと」



私 は、子供のころ、毎週日曜日の朝コミュニテイ・センターで土地の子供と一緒にからてをしました。からては運動をすることとしては楽しく、好きでした。で も、けったり、かたをしたりしながら、何をするのかしている意味が本当あまり分かっていませんでした。実は、父の影響だけでやり始めたのですから。父は大 学時代ぶげいをよく勉強して、好きになり、私がするのはいいことだと思ったのでしょう。 

中学生になった時、ワシントンからニューヨークの新しい町に引っ越したので、ぶげいをすることは止めてしまいました。ピアノをれんしゅうしたり、新しく知り会った友達に会ったりしながら、からてをすることは考えませんでした。 

しかし、高校でぶげいをすることの楽しさと運動をすることがなっかしくなって来ました。それで、家の近くであたらしい道場をさがしはじめました。色々な道 場を訪ねて見ましたが、合気道の道場のクラスを見ると、「うあ、すばらしい」と思って、合気道の美しさにみりようされていました、それで合気道を習い始め ると、たちまち好きになってしまいました。そして、合気道とからての違いも分かって来ました。そして、この合気道のユニークさととくしゅせいは日常生活で もつかわれるんじゃないかということがまもなく分かって来ました。  

一つは、からてでは、なるべく早く相手を攻げすべきです。しかし、合気道のせいしんは相手にいたい目をさせないでたたかいを和することです。わざの仕方は からてでも合気道でも大事ですが、合気道ではわざより合気道の心ですることが大切なんです。相手がついて来ると、それを受けて、つきと一緒になって、てん かんをして、相手のたたかいの気をはなとうとします。これは日常生活でも、人と人の間にまさつがある時、ぎろんのかわりに、一緒にとけあって、おたがいの 考えをりかいし合って、問題をかいけつしようすることが出来ます。話合ったり、したりすることも大事ですが、それより心がやさしく、かいけつする気持ちで ふるまうことがもっと大切なことです。 

例えば、先月友達とパーティに行った時、いつのまにかだれかがくつをふまれたために私の友達にどなりました。普通なら、私はつよくあればあるほどいいので しょう。しかし、合気道の教えを思い出して、「これはたいへんなことですね、きれいなくつですから、」などと話し始めると、5分ぐらいすると悪い気持ちが しなくなって、飲みすぎた友達が間違って、くつをふんだことも忘れて、パーティが楽しくなりました。 

それから、ただ合気道の教えは勝つことだけじゃありません。私が一番初めに行った道場では合気道をしている人は大体私より二十才ぐらい年上でしたけれど、 みんながとてもやさしく、さっそく私をしんせつに教えってくれました。そして、その人たちとかぞくのようになりました。高校を卒業した後、ずっとテル・ア ビブとか、エルサレムとか、ケンブリジとか、ニュートンの道場で合気道をつづけて来ましたが、どこに行ってもだれもがやさしく、大家族のような感じがしま した。それは合気道の教えから来るのだと思います。からてやじゅうどうなどでは、だれかのおびの色を見るとその人がどんなレベルかが分かりますが、合気道 ではおびは白とくろだけです。レベルはありますけれど、合気道をしている時はみんなが同じで、びょうどうです。とうぎもありません。合気道のせいしんで は、きょうそうではなくて、みんながともにによくなるためにたすけ会うことです。ですから道場ではだれもがだれもから、まだ合気道があまり出来ないしょし んしゃからさえ、学ぶことが出来るんです。日常生活でもこんなことはよくあります。自分がだれかよりすぐれている時でもその人から何かを学ぶことが出来ま す。 

合気道をしながら、合気道がはじまった日本にもきょうみを持ち始めました。それで、日本語も始めました。そして、合気道のせいしん、すなわち、日本の和の せいしんは、日本文化を学ぶことにも役にたっていると思います。合気道のそうりつしゃ上芝によると、合気道の真のゴールはみんなを平和やちょうわの心でむ すぶことです。ですから、せかいが平和になることです。みんなさんも一緒に合気道をしませんか。