ナナ・渡辺 「 父と私の考え方」
日 本にはこわい物が四つあると言われています。地震、雷、火事、親父です。その四つの中私が一番経験があるのは「親父」です。私の父はせんそうの後日本の秋 田県のいなかで生まれましたが父の父はせんそうの時中国でたたかいました。ですから祖父はとてもきびしくて、人をおどす力を持っていました。父の友達によ ると、祖父はきびしくて、こわい学校の校長先生だったそうです。父の友達は今でもみんな父に、「おまえの親父はこわっかたなあ」と言って祖父のことを覚え ています。祖父の時代には女性はまだちいがひくかったです。ですから祖父はあまり女性にたいして親切なあつかいをしませんでした。父はこういう祖父のえい きょうででんとうてきな考えを持っているのだと思います。
私は大きくなるにつれて、自分の考え方は父のとは全くはんたいだと思うようになりました。家族の中では父はしはいてきな地位にいます。母もそうみとめてい るので、かていてきな仕事は母がぜんぶしています。私の家はふつうのアメリカのかていとずいぶん違うということが分かって来ました。私の家は父がそだった 五十年前の日本のかていのようです。
たとえば、父は女性がスポーツをすることは、あまりいいとは思っていませんです。ですから私がテレビで野球を見ている時とかテニスが習いたいと言った時な ど、父はよく「なぜナナはそういうことをしなければならないのか」と聞きました。でも、兄にたいしては父は「スポーツをしなさい!」とめいれいしていまし た。
教育についても、父は兄に勉強をさせました。とくに数学の勉強をどんどんすすむようにさせていました。ところが、私はそういうよぶんな勉強はいっさいしな くてもよかったんです。父はきっと自分のむすこには社会でせいこうしてほしかったのでしょう、もっと時間をかけて兄をそだてたんだと思います。
今になって、なぜ私は子供の時から自分の父にさべつされたのかということがりかい出来るようになりました。人の考え方は小さい時から作られるものですか ら、人のかちかんや、しんねんをかえることは難しいことです。父はアメリカでもう二十年も生活していますが、まだ自分が経験して学んだことを自分の子供に もおしつけようとしています。
高校生だった時私はよく父に口ごたえをしました。父はよくおこって、「うるさい!だまれ!」と言って、私の考え方を聞いてくれませんでした。私はどうして 父はあんなにがんこなのか分かりませんでした。でもこのぎもんにたいする答えがだんだん分ってきました。父は女性になにか意見を言われるのが好きじゃない んです。それに、自分の力でアメリカでくらしてきた父は、だれかに自分の考え方をについて、色々言われるのはきらいなのだと思います。
私は父の考え方はかえられないんだということを受入れました。父をもっとおこらさせるより、何も言わないでがまんをした方がいいと私はそう思うようになり ました。父がおっこている時は、地震、火事、雷が来ている時と同じように、しかたがないから、どおいしなければなりません。父にはぜったいにかてないの で、父の考え方父の考え方、私の考え方は私の考え方とくべつすることが大事だと思いました。この父と私のかんけいで分かったことは、この考え方はほかにも つかうことが出来るんじゃないかということです。たとえば、しゅきょう、じんしゅ、国せきの違う人々にたいしょする時でも違った考え方を一つ一つみとめ て、受け入れて、一緒にへいわてきにそんざいさせようとすることが大切だと思います。