ヒュンジュン・シム 「私の中の二つの国」
私は韓国でうまれそだったふつうの韓国人です。 私の国は 百年前から五十年前までの間日本のしはいかにあったれきしがあります。そのれきしは本当にかなしくてひさんで韓国人としてはみとめにくいことでした。にっしょうきをむねにつけて日本人としてひょうしょうされるよりほかなかったソンギジョングせんしゅ、日本軍にぼうこうされて眼と耳、手足を失った人、しきゅうをなくすしゅじゅつをうけてくつうにたえたわかかったいあんふ、 ひたいにじゅうをあてられてじゅんしょくした青春のまんなかだった人たち。そんなれきしをしって、私もまた日本とよばれる国が好きになれなかったんです。 こんな私にとって日本はきょりてきには一番ちかくてもこころでは一番とおいくにでした。
私はこの世界で私のそぼをだれよりもそんけいしてきました。そぼは母よりもっと母みたいな、りそうのそんざいでした。なにか問題があったらそうだんしたりじゅうようなけっていをくだす時がきたらいつもそぼのいけんにしたがいました。そぼは一かいもまちがった時がなくてそぼにむけるしんらいと愛情はどんどん大きくなっていきました。
そんなそぼが韓国人じゃないのをしったのは私が十七歳の時でした。そ ぼは子供の時家族といっしょに韓国に来た日本人だったんです。なぜそぼの名前が韓国人のように三もじじゃなかったか、なぜそぼはよく日本に旅行をしたか、 ぜんぶりかいできたしゅんかんでしたがあの時の私が感じたうらぎられたというかんじょうはどうしてもなくなりませんでした。 私 が好きでそんけいする人がきらいにならなくてはいけないとならった日本人だったしじつになみだが出ました。どうして、よりによって日本人か、どうして日本 か。私が愛するそが日本人だったことがはずかしかったんです。かなしかったんです。私は自分にもはらがたってしまいました。私の体の中で日本人の血がなが れているのがたまらなかったんです。私と言うそんざいが私の国のてきになってしまうかんじがして、知らないアメリカ人が“are you Japanese?”と聞く時にはかびんにはんのうしました。「私はかんぺきな韓国人です」と。
だけど私はわかりました。そぼはむかしのままでいだいな人でそんなそぼが大好きだというじじつにはかわりがないことを。 一番大事なものは歴史でもスポーツのかちまけでもない、人のこころだということを。人はともに愛しながらゆるしあいながらいきていくことが一番だいせつなのだと。人々がそれを分かりあえば韓国と日本のあいだのふかいたにはなんでもないのだと。
なぜ今でも韓国人と日本人はなににもしばられなくてたがいが好きになってみとめるのができないんでしょうか。な ぜいまでも韓国人と日本人はだれがさいしょでだれがつぎか、言いあらそっているんでしょうか。なぜいっぽうがしんじつだったらほかのいっぽうはうそじゃな きゃいけないんでしょうか。もちろん、歴史もしんじつもだいじです。ただしいことをただしいといえるのもまちがっていることをまちがっているといえるのも だいじです。でも、あらったりにくんだりしてほしくないんです。くらい歴史にとらわれなければ韓国と日本はせかいのどんな国よりちかくなることができるとおもいます。
私の一番好きな人はそぼでそんなそぼは日本人です。私は 体には日本人の血がながれている韓国人です。そして、私は私のなかで韓国と日本が出会ってじつげんしたへいわを愛しています。